これは、私が小学校1年生のころに体験した、山の中での出来事です。
今でも、そのときの光や風の匂い、手のひらに触れた落ち葉の感触を思い出すことが出来ます。
実家の裏手には、なだらかな里山があります。
春になると細い道にツクシが伸び、夏はセミの声が響いて、秋には落ち葉が積もって足元がふかふかになる。
特別な場所ではありません。
でも、小さかった私にとっては、大冒険の舞台でした。
毎日のように、私は兄と里山で遊びました。
兄は小学4年生で、私よりちょっと大人。
私が転びそうになれば手を引いてくれて、虫が苦手でも文句を言わずに付き合ってくれるような、優しい兄でした。
ある日、ふと思ったんです。
「ねえ、もっと奥に行ってみない?」
いつもと同じ景色に、ちょっとだけ飽きてきていた頃でした。
兄は少し考えてから「じゃあ、ちょっとだけな」と言って、私の手を握りました。
私たちは、誰も入らないような細い獣道を進んで、葉の間からこぼれる光を頼りに森の奥へと入っていきました。
風の音が静かになったそのとき、不意に声がしました。
「……かくれんぼ、しよっか?」
ふり向くと、そこに見知らぬ男の子が立っていました。
私たちよりも背が高くて、白い着物を着ていました。
肩まである黒髪が風に揺れて、目元は涼しげで、どこか寂しそう。
でも、にっこりと笑った顔は、やさしそうでした。
「……誰?」
兄が少しだけ前に出て聞きました。
男の子は答えず、しゃがみこんで、落ち葉を指先でかき混ぜながら言いました。
「見つけてくれる人がいないと、ずっと、かくれたままなんだよ。
……それって、ちょっと寂しいでしょ?」
どこかおかしな言い方でしたが、不思議と怖くはありませんでした。
それよりも、気がつけば自然と、私の手はその子に伸びていました。
「しろくん」
名前を聞いても答えなかったので、私はそう呼ぶことにしました。
それから、毎日のように里山へ行くたび、私たちはしろくんに会いました。
かくれんぼをしたり、木の実を拾ったり、空を見てぼんやりしたり。
しろくんはなぜか鬼ばかり、私たちを見つけてくれるのがとても上手でした。
気がついた頃には、私はしろくんのことが、大好きになっていました。
兄も、口には出しませんでしたが、きっと同じ気持ちだったと思います。
そんな秋のある日の事。
楽しかった日々に、ふっと、終わりが訪れたのです。
しろくんが、いつもの場所にいなかったのです。
私たちは里山を奥へ奥へと進みました。
紅葉が風に舞って、山道には落ち葉が積もり、ふわふわした足元がどこか心もとない感覚でした。
「……きゃっ!」
そのとき、私は足を滑らせて、落ち葉の中に沈み込むように転びました。
体が宙に浮いて、兄の叫びが遠くに聞こえて――
でも、落ちた感覚はありませんでした。
代わりに、
ふわりと、誰かに包まれたような感触がありました。
あたたかくて、やさしくて、ほんの少しだけ冷たい風みたいな。
次の瞬間、私はそっと地面に立っていました。
周囲はしんとしていて、空気が濃く、まるで時間が止まったような感じでした。
目の前にあったのは、苔むした小さな祠。
石でできたその祠は、屋根に枯葉が積もり、注連縄が風にゆれていました。
古びていたけれど、どこか大切にされていたような気配がありました。
そこに、しろくんの姿はありませんでした。
でも、私は思いました。
――ここにいる。
やがて兄が追いついてきて、祠を見上げて言いました。
「……こんな場所、あったっけ?」
その日は、それ以上なにも起こりませんでした。
でも、私たちはそれ以来、祠にお供えをするようになりました。
小さなお菓子や、拾った花や、折り紙の動物たち。
誰かに教えられたわけじゃないけれど、そうしたくなったんです。
そして、しろくんはあれから一度も現れませんでした。
中学生になった春。
国語の授業で「旧暦の月の名前」を習いました。
先生が言いました。
「十月は“神無月”。全国の神様が出雲に集まる月です。
だから、各地には神様がいなくなってしまうと言われています」
そのとき、ふっと、秋のあの日のことを思い出しました。
しろくんが、いなかった日。
私を、ふわりと助けてくれたあのやさしさ。
――あの子は、きっと神様だったんだ。
十月、出雲に行っていたから、そこにはいなかった。
でも、ちゃんと私のそばにいてくれた。
それに気づいたとき、胸の奥がほんのりと温かくなりました。
授業のノートに「神無月」と書いた横に、私はこっそりこう書き添えました。
——しろくん、ありがとう。
また、かくれんぼができる日がくるといいね。