これは、去年の冬に私が体験した、静かにじわじわと続いている話です。
普段はあまりこういう場所に書き込むタイプじゃないのですが、自分の中で整理をつけたくて、思い切って投稿させてもらいます。
私は東京で一人暮らしをしている大学生です。
その年の秋、母方の伯父が、突然亡くなりました。
心不全だったそうです。
おじは無口な人でしたが、子どもの頃から何かと気にかけてくれ、私にとっては“心の距離がちょうどいい”大人でした。
実は、高校生の頃に一度、伯父の使っていた眼鏡を見て「それ、かっこいいですね」と言ったことがあります。
おじは少し照れたように笑って「そうか」とだけ返したのを、今でもはっきり覚えています。
四十九日を過ぎた頃、おじの奥さん、つまり叔母から連絡がありました。
「あなたが気に入ってたって聞いたの。形見として、もしよければ――」
そうして私の手に渡ったのが、黒ぶちの、少しレトロな眼鏡でした。
レンズは黄ばんでいて古かったのですが、私は視力が悪く、ちょうど家用の眼鏡が壊れていたので、レンズだけ変えて使い始めることにしたんです。
これが、すべての始まりでした。
最初は、ほんの違和感でした。
部屋で本を読んでいるとき、視界の端に“何か”がちらっと動いたような気がしたのです。
黒い影のようなもの。人の形にも見えるような、そうでもないような。
眼鏡を外すと、影は見えなくなりました。
疲れているのかと思いました。寝不足やスマホの見過ぎかもしれないと、自分に言い聞かせました。
でも、それは日が経つにつれ、徐々に“見えるように”なっていったのです。
家の隅、玄関の影、風呂場の前。
私が眼鏡をかけているときに限って、“そこに何かがいる”ような気配を感じるのです。
ある日、思い切って眼鏡をかけたまま大学へ行ってみました。
日中の街。電車の中。キャンパスの廊下――
どこにも、あちこちに、“影”はいました。
交差点の信号の下でしゃがんでいる黒い人型。
誰も乗っていないエレベーターの奥に立つ影。
廊下の奥、誰もいない部屋をのぞき込んでいる顔のない何か。
誰も気にしていない。
私にしか見えていないのです。
怖いという感情と同時に、それを“観察してみたい”という妙な気持ちもありました。
帰宅すると、見た影をスケッチブックに描くようになりました。
姿はどれも曖昧で、形を持たないようでいて、どこか人間らしい輪郭をしていました。
けれど、そのうちのひとつ――部屋の隅にいた影が、明らかにこちらに“干渉”してくるようになったのです。
玄関マットの上に足跡のような跡が残っていたり、
スケッチブックのページが勝手にめくられていたり。
ある夜、私は眼鏡をかけたまま、うっかり寝落ちしてしまいました。
深夜。目を覚ましたとき、身体がまったく動きませんでした。
視界の端に、黒い影が――私のベッドの足元から、這うように近づいてくるのが見えました。
顔の横にぴたりと寄り添ったそのとき、耳に生ぬるい息がかかり、その影は、確かにこう囁いたのです。
「見ていたのは、お前だけじゃないぞ」
怖くなって、私は友人のTに相談しました。
Tは信じてくれて、自分のバイト先の先輩――見える人――Aさんを紹介してくれました。
Aさんは静かに、でもはっきりと言いました。
「その眼鏡、きっとおじさんの“視る力”が染み込んでたのよ。
あなたは見えるわけじゃないけど、引き寄せる体質なの。
今、あなたは“見えてしまった”から、向こうもあなたを“見ていい相手”として認識しちゃってる」
Aさんは簡単なお祓いをしてくれました。
それで干渉は少し弱まるかもしれないけれど、完全に切り離すのは難しい、と。
最後にこう言われました。
「今後は、その眼鏡、できるだけかけないこと。
見ないこと。それが、一番の距離の取り方よ」
今、その眼鏡は部屋の奥の引き出しにしまってあります。
きれいに拭いて、眼鏡ケースに入れて、布をかけて。
もう二度とかけないと、そう決めて。
……けれど。
夜になると、ときどき思うのです。
“もう一度だけ、かけてみようか”と。
怖かったはずなのに、なぜか惹かれてしまう。
引き出しの中で、それは今も、静かにこちらを見ているような気がします。
たまに、どうしようもなく、
私は、あの眼鏡を――また、かけたくなるのです。