あの子の名残

2025年06月09日 10:00


冬の初め、ちょうどクリスマスの少し前のことでした。
私の名前は華菜。
高校生で、着物が好きです。

といっても、学生の身で仕立て着物を買えるほどの余裕はなくて、、、
バイト代を少しずつ貯めては、フリマアプリで古着の着物を探すのがささやかな趣味になっていました。

私、身長が低いんです。
既製品だと大きすぎることも多いけれど、昔の着物って小柄な人向けのサイズもけっこう多くて。
だから掘り出し物を見つけると、本当に嬉しくなるんです。

その日も、寝る前にアプリを眺めていて、ふと目を引かれる一着がありました。
朱色に白梅の小紋柄。くすんだような色合いが、なんとも言えず綺麗で――
サイズもぴったり。

出品者の名前は「よしこ」さん。評価も出品もその一件だけ。
説明文には、こうありました。

実家の荷物を整理していたら出てきた着物です。
自分では着ないし、詳しくもないので、着物が好きな方に安くお譲りできればと思います。

1300円。送料込み。
クリスマスのご褒美と、年始の初詣に着て行けたらいいなと思って、すぐに購入しました。

届いた荷物は、想像以上に丁寧に梱包されていて、
古いながらも手入れの行き届いた着物が入っていました。

袖を通すと、まるで私の体に合わせて作られたようにしっくり馴染んで、
その日は風を通そうと思って、ハンガーラックに掛けたまま眠りました。

――その晩、夢を見ました。

場所は知らない座敷。
古い日本家屋のようでした。
畳の上、私が着たあの着物が、長押に掛けられていました。

その前に、誰かが座っていました。
背中を丸めた女の人。顔は伏せていて見えません。
でも、その人は小さな声で、繰り返し言うんです。

「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

その声が、少しずつ耳の近くまで迫ってくる。
女の人は動いていないのに、声だけが近づいて――

「ごめんなさい」

その声が耳元で囁かれた瞬間、胸が苦しくなって、目が覚めました。
目を開けると、そこはいつもの自室。

ただ、ひとつだけおかしなことがあって――
ハンガーラックに掛けていた着物が、床に落ちていたんです。
しかも、袖の片方が、ゆっくりと裏返るように捩れていて。
まるで、誰かが着物を着ようとしていたようでした。

それから数日、なんだか調子が出ませんでした。
忘れ物をよくするようになったり、授業中にじっと座っていられなくなったり。
何をしていても、落ち着かない。
家族には「疲れてるんじゃない?」なんて言われました。

年が明けて、祖父母の家に行くことになりました。
せっかくならと、あの着物を着て出かけました。
合わせた半衿も髪飾りもばっちり決まって、鏡の中の自分はすごく綺麗に見えたんです。
……でも、なんというか、自分の顔なのに、どこか懐かしいような、知らないような――そんな変な感覚がありました。

祖父母の家に着いて、着物姿を見せたとき、祖母だけが表情を曇らせて「その着物、どうしたの?」と訊いてきました。

経緯を話すと、祖母は急に立ち上がって、どこかに電話をかけ始めました。
お正月で忙しいはずの神社に「お願いだから今日見てほしい」と、頭を下げているのが聞こえました。

その日のうちに、お世話になっている神社でお祓いをしてもらえることになりました。

祝詞が読まれ、鈴が鳴る。
榊が振られる。
その最中――なぜだか、涙が止まらなくなりました。
悲しいとも、怖いとも違うのに、胸の奥が締めつけられるようで、ずっと泣いていました。

お祓いのあと、神主さんが静かに話してくれました。

昔、このあたりでは、障害のある子どもを「穢れ」として座敷牢に幽閉していた時代があったこと。
その着物は、そうやって閉じ込められていた子に、母親が“せめてもの情け”として着せていたものであること。
そして――その着物には、その子自身よりも、母親の念が強く染み付いていたこと。

「どうか、大切に着てあげてくださいね」と言って、
神主さんはそのまま着物を返してくれました。

それからというもの、私はその着物を、行事や大切な日に少しずつ着るようになりました。
不思議と、落ち着きのなさも、注意力の散漫さもなくなりました。

でも、たまに――
鏡の中の自分が、ほんの一瞬、笑ったように見えることがあります。
私が笑っていない時でも、です。

気のせいだと思っています。
……思いたいんですけどね。

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