これは、私がまだ二人の子どもを育てていた頃の話です。
当時、長男は五歳、長女は三歳。私は夫と子供たちの四人で、都内の賃貸マンションに住んでいました。
駅からも近く、日当たりもよくて、特にいわくもない、どこにでもあるようなマンションです。
けれど、今でも思い出すと、背中に冷たいものが這い上がってくるのです。
*
最初は、子どもたちがよく部屋で遊ぶようになったな、という程度でした。
ふたりで楽しそうに笑いながら、ぬいぐるみを並べたり、ままごとをしたり。
でも、ある日、長女の口からこんな名前が出てきました。
「今日もね、ミサキちゃんが遊びに来たよ」
ミサキちゃん? そんな子、近所にいたかしら……?
不思議に思いながら聞き返すと、娘は「このおうちにいる子だよ」と平然と答えたのです。
そこから、奇妙なことが立て続けに起き始めました。
子どもたちの遊ぶ声に混じって、もう一人分の話し声が聞こえる気がする。
ぬいぐるみの位置が毎晩変わっている。
誰もいないはずの寝室から、夜中に足音がする。
息子に「ミサキちゃんってどんな子?」と聞いたとき、こんな返事が返ってきました。
「髪の毛が濡れててね、いつも下向いてるよ。……怒ってるときは、にこにこしてる」
――ぞっとしました。
*
ある夜、私が眠っていると、誰かが耳元で囁いたんです。
「ママには、内緒だよ」
目を開けても、誰もいませんでした。
ただ、その言葉だけが、耳の奥に焼き付いていました。
それでも、夫は「疲れてるんだよ」と笑うばかり。
でも私の中では、もう限界でした。
決定的だったのは、娘が突然階段から落ちかけたこと。
幸い大事には至りませんでしたが、後日ぽつりと、「ミサキちゃんが、こっちおいでって言ったの」と。
私はその日の夜、引っ越しを決めました。
夫には半ば呆れられましたが、何かが壊れてしまう前に、ここを出なくてはいけないと、本能が告げていたんです。
*
新しい家に引っ越してから、あの奇妙な現象はぴたりと止みました。
子どもたちも以前のように明るく元気に過ごすようになり、あの名前を口にすることもなくなりました。
でも、ずっと心に引っかかっていた私は、子どもたちが高校生になった頃、思い切って聞いてみたんです。
「ねえ、昔“ミサキちゃん”って子と遊んでたこと、覚えてる?」
二人とも、ぽかんとした顔で「誰それ?」と。
まるで最初から、そんな子いなかったかのように。
……でも、私は忘れられません。
最後に引っ越す直前の晩、娘がうわごとのように呟いていた言葉を。
「ミサキちゃん、ママのこと大嫌いだって……
ママ、目、ついてるのに見えないからだって……」
*
最近、またときどき、夜中に耳をすます癖が戻ってきました。
眠っている子どもたちの部屋から、かすかな声が聞こえる気がするのです。
いーち、にーい、さーん、ばーつ。
ミサキちゃんの番。
足音が……三つ、廊下を通り過ぎていく。
やめて。もう来ないで。
私は、あの声を知っている――
「ママには、内緒だよ」