『D-day』
これは、僕が大学2年の春に体験した話だ。
通っていたのは、地方にある中規模の私立大学で、キャンパスの雰囲気はどこかのんびりしており、事件らしい事件もほとんど起きない平和な場所だった。
正直、毎日が少し退屈なくらいで、それでも僕は、その単調さに安心していたんだと思う。
でも、ある時期から、ちょっとした違和感を覚えるようになった。
それは――「日付」にこだわる人が、やたらと増え始めたことだった。
最初は、本当に些細なことだった。
食堂で並んでいた時、前の学生同士の会話が耳に入ってきた。
「Dまであと5日だよね」「準備はした?」
別の日には、隣のテーブルの子が、カレンダーに“D-day”とだけ書かれたメモを貼って眺めていた。
何かのライブか、推しの記念日か、それとも流行りのゲームか──そんな風に軽く流していた。
でも、どうにもその「D-day」という言葉が引っかかって仕方なかった。
その違和感が確信に変わったのは、ゼミのグループワークでのことだった。
同じ班になった女の子が、ふとした雑談の途中でこんなことを言ったのだ。
「私、来週のD-dayで向こうに行くから。レポート、お願いね」
「向こうってどこ?」
そう訊くと、彼女は困ったように笑って
「……まだ知らないんだね」
とだけ返して、それ以上は何も言わなかった。
その翌週から、彼女は大学に来なくなった。
休学届けも出ていない。連絡もつかない。
周りの人たちも、なぜか彼女の話題を避けているように感じた。
それからだ。
“D-day”という言葉が、どんどん大学中に浸透していったのは。
壁に貼られたビラ。ホワイトボードの片隅。
教室の机の裏。食堂のトレイの底。
どこを見ても、「D-dayまであと○日」「決行はすぐそこ」みたいな文言が記されている。
けれど、誰もそのことを話題にしない。
まるで、それが「あるのが当然」のように。
教授にそれとなく聞いてみたこともあった。
「え?D-day? 何かのイベント?」
そう言って、苦笑いしながらスケジュール帳をめくるだけだった。
不安が頂点に達したのは、自分のスマホに“D-day”というアプリがいつの間にかインストールされていたのを見つけた時だった。
起動してみると、画面中央にただ一言。
「あなたのD-dayは、4月17日です」
身に覚えのない通知。アンインストールもできないアプリ。
それだけで十分気味が悪かったのに、タイミングを同じくして、周囲の人間が次々といなくなっていった。
退学、転校、引っ越し。理由はバラバラなのに、妙に足並みが揃っている。
僕は焦って、ネットで“D-day”について調べはじめた。
最初に出てきたのは、予想通りノルマンディー上陸作戦の話でした。
“D”は“Day”の略で、作戦決行日を意味する、というのが定義らしい。
でも、検索を深掘りするうちに、おかしな情報が目につき始めた。
> 「D-dayは選ばれた人にだけ通知される」
「カウントがゼロになった瞬間、世界が分岐する」
「“決行側”と“未決行側”は、二度と交わらない」
都市伝説のような、オカルト掲示板の書き込みばかり。
その中でも気になったのが、5年ほど前に開設された、あるブログだった。
> 『4月17日が近づいている。今回の“調整”で、僕が選ばれていないことを祈る。
スマホに“D-day”アプリがあったら、その日は外に出るな。空を見るな。
知ろうとするな。』
そのブログは数件の記事を最後に更新が止まり、コメントも閉じられていた。
一番最後の投稿には、こう記されていた。
> 「D-day、またひとり決行された」
背筋が冷たくなったのを覚えている。
それでも、僕はまだ半信半疑だった。
“D-day”なんて、よくあるネットの与太話だと、そう思い込もうとしていた。
4月17日。
目が覚めた瞬間、空気が違うと感じた。
湿っているのに、音がしない。
まるで世界全体に、薄い膜がかかったような感覚。
外に出ると、町には人影がまばらで、車も走っていない。
鳥の声も、風の音も、なにも聞こえない。
ただ、時計の針だけが、なぜか13時13分を指したまま、すべて止まっていた。
大学に向かうと、構内はほとんど無人だった。
時折、ぽつりぽつりと歩いている学生たちは、みな無表情で、同じ方向を見て立ち尽くしていた。
その視線の先――空に、歪みのような裂け目があった。
グレーと紺の中間のような、濁った色の雲が、空を真っ直ぐに割っている。
誰も何も言わない。
誰も逃げない。
まるで、ずっとそこにあることを知っていたかのように。
僕もつられて、空を見た。
その瞬間、後頭部の奥で“何か”がパチンと音を立てたような気がして、目を背けた。
吐き気と恐怖で膝が震え、ふらふらとその場に座り込んだとき、見覚えのある人影を見つけた。
グループワークで一緒だった、あの女の子だ。
あの時の姿のまま、こちらに微笑みかけている。
でも、彼女の目は、完全に真っ黒で――
人間のそれじゃなかった。
彼女の口元が、かすかに動いたのが分かった。
「ようこそ」
その言葉のあと、世界が暗転した。
目を覚ますと、ベッドの中だった。
スマホを見ると、4月18日。
日常は、何事もなかったかのように続いていた。
でも、あの日を境に、世界は確かに“変わって”いた。
キャンパスでは、また別の顔ぶれが消え始めていた。
食堂の壁には、今度はこう書かれていた。
> 「次のD-day:6月9日」
スマホのアプリは、まだ残っていた。
今度の“その日”が、誰のものなのかは分からない。
でも、あれから僕は、朝起きるたび、今日が自分のD-dayかもしれないという不安に襲われている。
いつかその日が、もう一度、自分の番として訪れる気がしてならないのだ。